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WHAT'S SKIP BEAT ?
SKIP BEATは、2000年新庄市にあるロフトムンクを会場にたったひとりのDJから始まりました。地元の人にもっと「気軽に遊びに来てほしい」、そして何よりも「地元で面白いことをやりたい」、という感じで年に3〜4回。音楽の趣味が雑食なDJ達のお陰で一晩にほんとにいろんな音楽がかかります。
ぜひみなさんも体験してみて下さい!!!!!!!! 最新のトラックバック
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こんばんは、KOOBAです。
今年もやります! スペシャルゲストDJ クボタタケシ!!!!! in SKIP BEAT! クボタタケシ PROFILE 1991年、伝説のラップグループ「キミドリ」のラッパー/サウンドクリエイターとして活動を開始。1993年、アルバム『キミドリ』と、1996年『オ.ワ.ラ. ナ.イ』の2枚の公式作品を残してキミドリはその活動を休止するが、クボタはその間から現在まで数々のリミックス、プロデュース、そしてDJとしての活動を継続中。中でも1998年にスタートしたミックステープ『CLASSICS(1~4)』シリーズはオールジャンル・ミックスの新しい扉を開き、東京から全国のクラブまで熱狂的なフォロワーを生み出す。また2003年秋に初のオフィシャル・ミックスCD『NEO CLASSICS』を、約5年のブランクを経て2008年秋に待望の第二弾、『NEO CLASSICS2』をエイベックスよりリリース、いずれもミックスCDとしては異例の好セールスを記録。そして2009年3月にはユニークな人選が毎回話題となるミックスCDシリーズ『ストリクトリー・ロッカーズ』からクボタタケシ・ミックスがリリース。80年代から90年代初頭までのラガマフィン・ヒップホップ、ヒップホップ・レゲエに特化したこの作品は、「他の追随を許さない」という表現自体を他に許さない、圧倒的なオリジナリティを誇り、初回プレス盤は瞬く間に店頭から姿を消すなど人気の底力を示す。また同年11月にはシリーズの続編『NEO CLASSICS3』と日本人アーティストのみで選曲された『ミックスシーディー』を同時リリースするなど異例のリリース・ペースに待望度業界ナンバー・ワンとも言われるオリジナル音源の発表に向けての期待も更に高まるばかりである。 で、こちら一昨年のSKIP BEATのもよう。 みんな裸だけど気にせずに。 *************************************************************************************************** < SKIP BEAT 11th Anniversary Special > 2011年5月28日(土) 場所: Loft Munk : 新庄市若葉町13-17 TEL 0233-23-1166 時間:18:00〜24:00 スペシャルゲストDJ: クボタタケシ DJ:MITSURU,HIROBE,YOHEI,YOSHITAKA,KOOBA,GIL 入場料:前売2,000円(1ドリンク付)、当日2,500円(1ドリンク付) ※先着30名様にミックスCDをプレゼント! ※当日は東日本大震災の義援金用募金箱を設置します 場所はこちら。 Loft Munk Map #
by skipbeatbox
| 2011-05-11 12:58
アイク&ティナ・ターナーの翌日はウィーン少年合唱団。
そんなクボタ少年が大きくなると。 「多い時はね、15日くらい。そう2日に1回」 これは1ヶ月にどれくらいDJをしているかって質問に対しての答え。 「今年に入って2ヶ月に1回はやってるからね。今年、7作品くらいやってる」 これはリミックス仕事の数。 「もっとあるかと思ったけど、意外と少なかった。さっき数えてみたらリミックスの、その、キミドリとか省いて、とりあえずちゃんとしたのが30枚くらい」 こんなことを本人は、いたって普通に喋ってるけど、作品のクオリティから考えても、言うほど容易なことではない、というのは誰だって分かります。 クボタタケシという人に抱くイメ−ジが皆それぞれ、どのような感じかは知らないが、おそらく共通してクリアーな感触はあると思う。色に例えるなら無色な感じか、もしくは白。あとは聴き手がそこに色をのせていくようなたたずまい。それは彼の作品を通してしか知り得ない存在、なんてカッコイイ姿勢にあるような気がするのです。その辺については、ただ「顔がみえない方が好 きだから」なんて。さらに聞いても「好きじゃないとやってらんないしょ?」、それよりも「なんで新幹線の東京駅って、あんな階段ばっかあんの?」、あの駅だけ地方に行くときにカート持ち あげないと上にあがれないから「何とかしてほしい」なんて軽いツッコミで笑わせる。でもね、いい話もたくさん聞けたので全部とまでは無理ですが、そのほんの一部を今回は紹介します。 「小さい頃からずーっと、いつも何か、こうラテンとかマンボとか、チャチャとか、そんなレコードばっかり家で、ずーっと鳴ってたのね。ウチの母親の影響が大きいのかな。で、そういうのでスタンダードとか、すんごい昔から好きで。何だっけ?母親もすんごいまとまりがないっつーか。あと結構コンサートとかも連れてかれた。すごいのがアイク&ティナ・ターナー。あれ5歳の時に台湾で観た。それだけ聞くとカッコイイじゃん?でも、その翌日にはウィーン少年合唱団とかに連れてかれてたりしてたからさ。めちゃめちゃ」 引越しの多さと親が音楽好きだったという環境が、多少なりとも今日の彼の人格を形成していることを物語る貴重なエピソード。 「アメリカには2年ちょっとしか居なかったんだけど、中1の終わりから高1まで。クラスの友達で1人イギリス人がいて、そいつだけ格好が全然違ってて。もうモロ、ニューウェーブの格好してた。 で、そいつと話が合って、ニューヨークにひとつだけニューウェーブかけるラジオ・ステーションがあったんだけど、そればっかり聴いてて。で、同時にラップも聴いてたり。とにかく何でも聴いてたなー」 それって何年ぐらい? 「84年とか?それで思い出したんだけど高校生の時、友だちにマーズ(ニューヨーク・パンク・シーンを記録した名盤『NO NEW YORK』にはいってます)のマーク・カニンガムのルームメイトってやつがいて、ブルックリンに住んでた。そいつの部屋とかに遊びに行くとさ、レコードとか凄いんだよね。もー、コルトレーンとかソニー・ロリンズとかJBとか並んでて、あとウルトラマグネティックスとかさ、HIP HOPとか。オレまだ中学か高1かな?あーっ間違ってないんだーって、結構その頃って自分はいろんなの聴いてたから、ちょっとカッコ悪いのかなって思ってたんだけど、その部屋行って、間違ってないんだって感じたことあった」 これ、別に自慢とかじゃなくてふつうの体験談なので。 「パンクとかもすんごい好きだったし、マイナー・スレットとか。DJプレミアもさ、何かのインタビューでCBGBに行ってたっていう話聞くし、それ聞いてまた、ああ、間違ってないんだって感じてたりして。あとHIP HOPとニューオーダーとスミス」 で、この後、スミス唯一のアメリカ公演を見逃すという大事件が! 「でさ、いちばん悔しいのがスミス。すごいのがあって。未だにチケット、大切に取ってんだけど、ニューヨークで1回だけ公演したんだ、当時。オレ、ニュージャージーだったから友達の車に一緒に乗せて行ってもらうはずだったんだけど、そいつが何か病気で行けなくなって、で、ギリギリの時間になってそれを伝え聞かされて、結局オレ行けなくって…。そのチケットだけが、ずーっと残ってた。しかもスミス、そのあと解散しちゃったじゃん?だから、それ観てればなーって」 ちょっぴり泣かせるエピソード。もちろんアメリカでもレコードは掘っていたんだけど。 「渋谷にハンターがあった頃は面白かったけどね。よく行ってた。あとフリーマーケットで、すごい買ってたね。昔のB-BOYレコードとかさ、ジェームス・ブラウンの7inchとか全部50円。あとディスクユニオンの厚木店ができた頃、すごかったのよ、もう。うわーうわーってくらい、みんな100円で、なんじゃこれ?って。毎日通ったもん。その時は、神奈川に住んでて大学生の頃」 CISCOの渋谷店で働くのは、そのあと? 「1年半。もっと長い間居たのかなと思ってたんだけど1年と4カ月くらいしか働かなかったのかな。オレ、タカちゃん(光嶋崇くん、スチャダラのBOSEくんの弟)の下で、最初はやってたから」 94年。CISCO渋谷店の片隅に「ネタモノ・コーナー」を作り、HIP HOPにおけるサンプリング・グルーヴの良さ、その元ネタになってるオリジナル・グルーヴの心地好さを、ジャンルに関係なく紹介するエサ箱を設置していたことは、未だ伝説の語りぐさ。その箱の定番がトレーシー・チャップマンやヴァン・ヘイレン、ザ・ドアーズの『モリソン・ホテル』、キッスの『ラヴ・ガン』、ゲイリー・ニューマンの『プレジャー・プリンシプル』というのだから、当時、どれほどデタラメで説得力を持っていたかが頷ける(それらは当時CISCOが発行していたフリー・ペーパー『dis』の#9 Aug. 1994号にDIGGIN' IN 打 CRATESと題され、クボタくん自身のテキスト付きで紹介されている)。「ネタとかって別に、今はどうでもいい。ただ、カッコいい曲が好きなだけで、カッコよく聴こえる曲はダメ。ロンドンがどうたら〜とかさ、どーでもいいことだから」 何か、クボタくんって職人っぽいのかな? 「いや、職人じゃない。職人だったらオレの中では、これをやって下さいって言ってきたら、ある程度のものを出すってイメージがあるから…。“つくる”って字あるじゃん、職人は“造”って感じがするのね。“作”は、みんな最初からやればできるみたいな。で、創造の“創”を目指して、日々、進んでます」 なるほどー。では最後に名言を添えます。 「でも、まだね10あったとすれば、自分の中では2くらいしかやってないんだよね。まだまだ、これから、がんばりますって感じ。これからもいっぱいやりたいことあるから、出してきますよいろいろと」 なんて頼もしい言葉を残してくれた。10月のある水曜日の、夕方から2時間ばかりの間の出来事です。 (RELAX _46 2000/12)より #
by skipbeatbox
| 2011-05-11 11:49
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